日常と期待の破線

僕は滅多に小説を読まない。

事実を知ることが好きだし、
曖昧な空想に左右されることに、勝手な苦手意識を感じている。

人が書いた文体に頭を馴染ませるのにも時間がかかる。

そんな僕が、小説を読みたいと思い立ち、
3冊目に手にしたタイトルでようやく、一つの物語を読み終えることができた。

 
正直に言うと、小説を読みたいなんて嘘で、もっと単純な理由なのはよく分かっている。

僕が読んだ、少し前に流行したその物語は、間も無く映画化される。
きっと多くの人がまたこの物語に感情を揺さぶられるのだろう。

 
僕は誰かに話すとき、
一番最初に本音を混ぜて伝えることが滅多にない。

臆病で、君の本心を探りながら、
僕のどうでもいい本懐を説明するための、
最も適した言葉を探してしまう。

感情という不確かなものに余計な邪魔をされたくないし、
伝えた後に誤解が生じるなんて面倒くさくて耐えられない。

 
そんなことだから、
あと一言、たわいもない返事でいい。
君が何かを返してくれたら、僕が思っていることを伝えられるのに。

そんな風に後悔しながら消えていった言葉が、
今も僕の胸の中には残ってしまっている。

そのことを少しだけ君のせいにすることで、
僕はバランスを保とうとしてしまう卑怯者なんだ。

本当は最初からはっきりと言えばよかったんだ。

君からの返事が来るなんて、
当たり前のことに思えて、それはただの期待の泡だよね。

 
不確かなものは、いつ自分の前から姿を消すのか計画できない。
だからと言って、僕が正確なタイミングで想いを言葉にできるわけでもない。

だから、関係にありふれた名前をつけることなんてせずに、
この日常を観察しながら、時間をただ過ごしていく。
「ああ、日常だな。」と思いながら、いつか誰もが失うものなんだと、
思うことしかできないのかもね。

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