時間を失えば

生きるのに必要なものを極めて限定すれば答えは何なのかと、
ふと、立ち止まり考えるとき、
この「時間」というものを失えば、
私たちは存在しないことになるのかしらと、不思議なことを思い浮かべる。

この時間という連なりが余りにも共通に経験するものだから、そのことだけで私たちは当たり前に存在するものと感じていて、
つまり不思議というのは当たり前に感じること自体なのだと、
余計な思考で脳を満たそうとする。

そして、時間のことを私たちは特段に理解しているわけではないという恐怖心が、現実でも空想でもない圧迫された空間に私を強く引き入れる。

思考の中では時は流れず、つまりそれは外界の変化を遮断しているからであって、物事が移ろうから時間というものが存在するのだと左脳の片隅で気づく。

そう気づくとき、私たちの生活は時間ではなく変化にこそ支配されていて、何とも制御することの出来ない流れに委ねて生きている弱さのようなものを曖昧に意識する。

変化の中に、過去も、今も、未来もすべてが陳列されて、
均衡を保つように秩序が形成されていく。

変化を失えば、私たちは時間を失う。
変わり続けることが、生きるということなのだろう。

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