漠然とテレビを眺めながら同じことを呟いてしまったり、
腕を組むとき右腕が上じゃないと落ち着かないとか、
優越感より劣等感の方が心地いいと感じてしまう癖とか。
似てると思うことと、好きになることは、
時々同じ意味を持つことがあって、
その偶然性に運命を錯覚することすらあるよ。
「類似」という言葉が表すように、
同じカテゴリーに分類する行為が、
僕以外に誰も知らないレコードショップのように、妙に安心できる場所を与えてくれる。
僕らはとにかく詮索しがちな生き物だから、
出逢いの後に、その対象を探すという行動が続くのは当たり前で、
自分と癖が似ている感覚の蓄積が、愛おしさの拡声器になっていく。
人間の心の拡声器はいつまでたっても性能が悪いままで、
愛おしさのボリュームが大きくなると、
すぐに音割れしてノイズになってしまう。
どんなに好きと叫んでも、哀しい雑音になって響いてしまうんだ。
君は耳を塞いで、隣にいる似つかわしくない人と一緒に、
僕には聞こえない声で、ひっそりと囁き合う。
なぜかその声は僕以外の全員に聞こえているような気がして、酷く嫌悪する感情が発作のように込み上げてくる。
好きになる方法はすぐに知ることができるのに、
好きにならない方法は探しても見つからないから厄介だ。
いっそのこと、君が僕の記憶から完全に居場所を失って、
好きだと思っていたことすら忘れてしまえればいいのに。
どうして君を好きにならないことばかり、
今は考えてしまうんだろう。
例え君が消えたとしても、
この気持ちを消去することは、簡単に出来ないのに。