「誰か」
抽象的な対象を指し示す漠然とした言葉だけど、
実は「誰か」とは、大抵において「自分自身」だ。
誰かの声がする、誰か僕を愛して、誰か。
そんな宛てのない言葉を、匿名の暗闇に向けて吐き捨てるたびに、
その誰かはこの世界には存在を持たない、つまりは自分自身であることに気づく。
だから僕は、「誰か」の反対は「君」だと直感した。
英語で表現する「誰か」は、SomeoneもしくはAnyoneで、
その反対語を英語圏では「No one」で置き換える。
誰かの反対は、誰でもないという感覚。
これは僕らには少し不思議な思考だ。
抽象的な表現ほど、嘘が介在することを、日本に生まれた僕らは知っている。
だからその反対語は、真実であるべきだ。
君が誰かを想う時、それは残念だけど僕ではない。
君自身の輪郭がぼやけているだけなんだ。
僕は嘘ばっかりで、君が真実なんだよ。