歌に既読を

最近、歌を聴いている途中で飛ばしてしまう悪い癖がついてしまった。
スマートフォンのタップは、色んなことを簡単にスキップできてしまうよね。

 

僕が人生の中で最も音楽に傾倒していた頃は、
隅々まで聴き逃さないように歌詞カードを眺めながら、
ヘッドホンの外側の音にすら気を遣って、呼吸を止めて聴いたものだ。

まだインターネットを通じて音楽を聴ける環境は無くて、
誰かと音楽を共有するには、CDやMDといった記録媒体が必要だった。

その歌の素晴らしさを伝えるには、誰よりも愛して、深く知る必要があったし、
そもそも曲タイトルがディスプレイに表示されるようなこともなかったから、
あの曲は、このアルバムの何曲目、という聴き方をしていた。

 

CDが発売される前にラジオ音源をこっそりと録音したり、
歌詞を書き起こしたノートをクラスで回したり、
もしかしたら20年前の方が音楽が身近な存在だったかも知れない。

 

最近は、音楽に既読をつけるような感覚だ。
まだ聴いたことがなかった歌が、日常というタイムラインに流れてきて、
何気も無く、既読だけつけておく。

まるでそれで返事を終えたかのように、
その音楽への思いが途絶えてしまう。

 

本当は出逢いにいちいち感動して、ため息を落としながら最後まで歌を聴きたいけれど、
なんだかこの安っぽい世の中に慣れてしまったな。

僕らは息を吐くように既読をつけて、
全てのことをスルーしていく。

 

大切な衝動を与えてくれる音楽でさえ、
この胸を通り過ぎてしまうのは哀しい。

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