東京に来て驚いたのは、地方出身者として扱われることだった。
僕が生まれた関西という「地方」は、
関西弁という「方言」を話す人たちということだ。
ご多聞に漏れず、僕は標準語を毛嫌いしていたし、
そのことは、父親が関西に縁がなく、関西弁を矯正されて育てられたことにも少しは関係しているだろう。
関東と関西は肩を並べてどちらも都だと思っていたのは僕の勝手な考えで、どうやら東京が日本の中心であることは間違いないようだ。
それなりに都会の日常を過ごしていると、
意外なことに僕は標準語を話す女の子が好きということに気づいた。
そもそも関東弁という名前の東京の方言があると関西の人の多くは想像していて、
やたらと語尾を伸ばしたり、強調したりするものだと僕も思っていた。
もちろん一定の人たちはそのようなお喋りをするので今でも苦手なのだけれど、
それは東京ぶってる人なんだなと思うと、自然と赦せるようになっていた。
僕の好きな標準語は、少し都心から離れた東京に住んでいたり、東京圏内と呼べる範囲の埼玉あたりに住んでいる人が話してくれる。
イントネーションとリズムの癖が無くて、
癖がないことが癖、という不思議な感覚をいつも愛おしく思う。
僕には持てない癖だから、気になってしまうんだろう。
そんな標準的な君の無意識の癖を見つけた時に、
僕と一緒だと思って、余計に好きになってしまうんだ。