百円ショップで購入した二つセットの小さな水鉄砲を、
湯船に浸して、中の空気を追い出そうとする。
水を鉄砲の中に誘い込むための穴が、
ちょどいいバランスよりも微妙に加減が悪くて、なかなか鉄砲の中に水が溜まらない。
まるで巻き戻しを見せられているような様子に、苛立ちを少しだけ含んだ溜息が洩れる。
角度を動かしてみたり、水面に近づけてみたりと試行錯誤を続けていると、
紫に青色を無理やり混ぜたような小さな容器は、ようやく8割程度の水で満たされた。
水圧というのは、常に一定ではなくて、
水深が深くなるごとに、圧が強くなっていく。
僕らが抱く感情も、空気のように輪郭が無くて、
圧力に押された水底では、ボコボコと溜め込んでいたものを吐き出して、
空中へと混じりながら消えていくんだろうな。
同じ水圧の場所に居続けるには、足をばたつかせながらもがいて存在し続けるしかなくて、
そんなことを眠らずに持続させることは身体的に不可能だから、
僕達の感情は常に水深の中を行ったり来たりしながら、
その時々の圧力と反発し合って、やっと、形を保っている。
水の中から抜け出してしまえば、簡単に空気を吸えることはわかっているけど、
この水の中に居なければ、この水圧がなければ、
私たちの感情は空気と同化し形をなくし、
それは私たち自身が無くなることと同義だと、
答えのある問いを、まるで難解な哲学のように仕立てて、
今日も私たちはもがき苦しむのだ。
バランス感覚を持つ人というのは、
深さと浅さを行ったり来たりできる人のようなことなのかなと思う。