二十代の頃は、いちいち全てのことに理由を求めていた。
納得できないことは、やりたくなかったし、
この世の中で起きることは、全て因果論で成り立っていると思っていた。
三十代、自分の息子が生まれて、歳をとり、
僕はいつの間にか、全てのことに理由を後付けできるようになった。
笑ってしまうくらい、単純な理由だとしても。
四十代、きっとまた、理由を探すだろう。
僕自身の夢や憧れではなく、次の世代に価値あるものを残すために。
人は、他人にまで理由を求める、無神経で神経質な性質の生き物。
あなたの理由と、私の理由は、いつだって一致しないのに。
それでも、同じ理由を求めてしまう。
だからこそ、わけもなく、行動を共にできたり、
ただ笑ったり、泣いたりできる瞬間が、愛おしくて仕方ない。
明日も、理由を求めてしまうのだろうか。
僕と君は、一致するだろうか。