長いような短いような、時計が狂ったままの一年の中で、
たった一日だけ、
死ぬこと、生きることでは無く、
「生まれたこと」を想い出す日が、僕らにはある。
父か母か、どちらかはよく知らないけれど、
出生届と書かれた用紙にこの日を記してくれて、
僕の生年月日が確かめられた32年前。
今想い出せる記憶はなぜか20代の残像はほとんど無くて、
家族で過ごした10代の出来事が、
紙焼きの写真のように、胸の棚の中に収まっている。
実家に置いてあるアルバムには、
母が丁寧に日付と出来事を記してくれていたことを、ふと想い出した。
記憶というのは、踏切の向こう側の景色みたいだな。
覚えていても、すぐに手にすることはできなくて、
見守っていてくれる人がいないと不安で渡れないんだ。
僕が本当に欲しいものはいつまで経っても手に入らないけれど、
母が産んでくれた昭和60年の今日の日付と同じように、
新しい年齢をまたひとつ与えて貰うことができるのは、
なんだか特別な証明みたいで、少しだけ幸せな気分になれた。
ここまで歩いてきたんだなあ。
お誕生日だったんですね!
おめでとうございます!
こんな素敵なブログ?詩集?
しりませんでした。
さかのぼって読みたいと思います。
ほんと、良い感性をお持ちだと思います!これからも心を大切に。
立体さん!!コメントありがとうございます。
本当に思ったことも全くそうでないことも書きちらしておりますが、
お楽しみいただけると幸いです。